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Wide Awake 翼のない天使

アメリカ映画 (1998)

ジョセフ・クロス(Joseph Cross)が単独で主演するハートフルなドラマ。映画を進行させるナレーションも含め、最初から最後まで出ずっぱりの大活躍だ。大好きだった祖父を亡くし、意気消沈気味の多感な少年の、小学校5年生の9ヶ月間(始業から終業まで)を描いている。どこまでも祖父のことが忘れられないジョシュア、何にでも興味を持ち 先生には質問魔として敬遠されているジョシュアが、神と会って祖父が無事かどうか尋ねたいと思い、夏休み前の終業日にようやく答えを見つける。「今年、僕はある物をずっと捜していて、回りのものすべてに惹かれました。今までの僕はきっと寝ていて、今ようやく起きたんです。分かりますよね? やっと目が覚めたんです(I'm wide awake now)」。映画の題名の「Wide Awake」はここから来ている。

ユニークな作品の多いナイト・シャラマンの監督2作目。3作目が有名な『シックス・センス』、5作目が『サイン』、9作目が『エアベンダー』。このホームページで将来紹介する作品だ。すべて雰囲気が違うが、この作品は、なぜか『The Young Messiah(ヤング・メサイア/7歳のイエス)』を連想させる。それは、神を捜す話だからか、天使が登場するからか、ジョシュアの髪型が7歳のイエスに似ているからか? 映画は、ジョシュアの学校生活を追っているが、その中で、頻繁に亡き祖父との想い出のシーンが出てくる。何れも、心温まる内容だが、あらすじでは該当の部分には青字を使用している(写真は青枠付き)。全体は、「9月―問いかけ、12月―しるし、5月―答え」の3部構成となっている。神はいるのか? 祖父は大丈夫なのか? という問いへの答えを見つけようと探査を始めたジョシュア、学校生活の中でいろいろな経験を積む。大親友を助け、嫌いだった汗っかきのデブを受け入れ、学校を去るいじめっ子と和解し、無関心だった女の子とも友達となり、最後に得た答え。それは、9ヶ月間ジョシュアを見守ってきた「翼のない天使」からの伝言だった。

ジョセフ・クロスは金髪のストレートヘアの可愛い少年なのだが、ここでは髪をカールさせ、始終悲しげな表情を浮かべている。観ていて思わず庇いたくなるのは、恐らくジョセフの持っている個性であろう。この映画の直前に重要な脇役で出演した『絶体×絶命』での白血病の少年、この映画の次に主演した『ジャック・フロスト/パパは雪だるま』での亡き父が好きな少年、彼には寂しさと明るさが同居した不思議な魅力がある。今も現役の俳優で、20代前半は脇役が多かったが30代に近付くにつれ主演作も数本出てきた。

ティモシー・ライフスナイダー(Timothy Reifsnyder)についても一言触れておこう。ジョシュアの大親友デイブ役で、映画初出演した子役で、ジョセフ・クロスと同年齢。映画の中では、ジョシュアと絡み合うように何度も登場する。如何にも悪戯っ子といった感じ。因みに、ジョシュアに「生物学的反応」を起こさせる美少女ホープを演じたヘザー・キャスラー(Heather Casler)は、この映画1本のみの出演。


あらすじ

映画は、5年生最初の日の朝から始まる。新学期が始まるというのに、ぐっすり寝込んだジョシュア。母が「起きなさい」と窓のカーテンを開け、「今日から5年生よ。お兄ちゃんでしょ」と言いつつ布団をめくっても人形と一緒に寝たまま(1枚目の写真)。母は、ため息をつくと、ジョシュアの体を起こし、「いつまで こんなことさせる気? もう限界ね」と言いつつも、ベッドから降ろし、体を持ち上げてベッドの前を歩かせ(2枚目の写真)、再びベッドに座らせると、またバタンと寝てしまう。こんなに寝起きの悪い子は見たことがない。それでも何とか、洗面に連れて行き、歯を磨かせる。父が、「15分で車を出すぞ。いいな」と声をかけても返事がないので、ドアを開けると、便器の蓋に腰掛けたまま歯ブラシを口に突っ込んで寝ている(3枚目の写真)。いったいどんな5年生になることやら…
  
  
  

ここで、第1部 「9月―問いかけ」のキャプションが入る。学校の制服を着たジョシュアが、出かける前に祖父の部屋に入って行く。洋服掛けからお気に入りのガウンを取り出すと、制服の上から羽織って揺りイスに座り、祖父が愛用していたパイプを口に入れる(1枚目の写真)。そこで、ジョシュアのナレーション(イタリック体)が入る。「おじいちゃんと僕は、いつも一緒だった。病気になったり、怖い夢を見た時は、おじいちゃんの部屋で寝たものだ。最後は、両方だった」。ここから、生前の回想シーン。祖父:「熱は下がったな」。ジョシュア:「夢の中で、おじいちゃんが いなくなって、見つからなかった」。「わしは、どこにも行かん」。「約束して」(2枚目の写真)。「約束だ」。そして現在に戻る。「嘘だった」(3枚目の写真)。
  
  
  

僕は ジョシュア・ビール。ペンシルバニア州フィラデルフィアに住んでて、ウォルドロン・マーシー・アカデミーに通ってる」。ここで、「Waldron Mercy Academy」と書かれた大きな看板と、その背後の石造の立派な校舎が映る。この学校は、フィラデルフィアに実在する。1861年にシスター・ウォルドロンと、慈善修道女会(シスターズ・オブ・マーシー)によって発足し、幾度かの再編を経て1987年に現在の名称となったカトリックの男子校と女子校だ。映画で映る建物の外観も、本物の校舎だ。遅刻ぎりぎりでクラスに入ったので、もう全員揃っている(1枚目の写真)。それまでのナレーションの中に「みんな、僕が質問魔だって思ってる」という下りがあるが、それはすぐに発揮される。ジョシュアは先生(シスター)に手を上げて質問する。「学習帳には、永遠の地獄から魂を救うには洗礼を受けなければならない、と書いてあります」。「その通りですよ。それが質問なの?」。「いいえ。質問は、デニス叔母さんのことです。洗礼を受けてないので、地獄に落ちるんですか? それに、父の一番の親友も洗礼を受けてません。なら、地獄行きです」(2枚目の写真)。「ジョシュア、誤解していますよ」。しかし、生徒たちからは、次々と地獄落ちの候補の名前があがり、授業は大混乱。「誰も地獄に行きません」と締めくくったシスターを、再びジョシュアの質問が襲う。「聖書が間違っているのですか?」。全生徒が先生の答えに固唾を呑んで注目する。「いいえ、聖書は間違っていません」の答えに、生徒たちからは「分からないや」「僕もだ」と不満の声が上がる。幸い、終業のベルが鳴って、シスターはほっとした。さすが質問魔だ。次の授業、途中でデビッドが大きなくしゃみをし、鼻を手で押さえながら、「シスター、トイレに行っても?」と訊く。席を立ったデビッドは、ジョシュアを手で誘い、ジョシュアも口実を設けて教室から出る。2人は、仲良く窓にもたれかかる(3枚目の写真)。ジョシュア:「鼻水、考えたね」。デビッド:「まあまあさ。9ヶ月も、やってられるか」(4枚目の写真)。「あのね、最初の1週間がひどいんだ。それに、学校がなければ、規則だって破れないだろ」。ここで、ナレーション。「大親友のデイヴは 大胆で向こう見ず。学校みたいなつまらない所は、頭痛の種。おしきせの制服は、着てるだけで頭が痛くなるとか」。因みにDVDの字幕は制服のことを「wussy」を「女々しい」と訳している。確かに辞書の最初にはそう書いてあるが、制服が女々しいという感覚が変だとは思わなかったのだろうか?
  
  
  
  

その後すぐ、ジョシュアは5年生の間ずっと続くことになる探索の発端に遭遇する。廊下を歩いていて、窓から差し込む陽の光に何となく目を留めたのだ(1枚目の写真)。「変なのは、その考えが最初に浮かんだのが もう何百万回も見ている物を 見た時だったからだ」。そして、デビッドに追いついて「神について 考えたことある?」と訊く。「カトリックの学校にいるんだぞ。宿題も出るし」。「そんなのと違う」。「なら、考えたことない」。「神って、いるのかな?」。「いない」。「どうして?」(2枚目の写真)。「やたら、悪いことが起きてるからさ。君が信じてるんなら、それでいい。僕が、鼻からチョコ・ミルクを飲んでも、構わないだろ?」。最後の部分(If you believe in him, it's cool. I drink chocolate milk through my nose. What do I know?)、神の存在を信じるのと、鼻からチョコ・ミルクを飲むのと同列に扱っているデビッドの意見が面白い。DVDの字幕は、「君が神様を信じていても、僕には関係ないね」と内容を逆転し、面白さも削っている。
  
  

次に、学校での放課後のシーンが幾つか紹介される。何れも最後になって重要な意味を持つ生徒たちだ。最初が、フレディー。ジョシュアがフットボールを蹴ろうと走り寄ると、直前でボールを蹴られてしまう。「悪かったな、ボール拾い。蹴りたかったか?」(1枚目の写真)。同じクラスだが、体が小さいジョシュアは虐めの対象になってきた。ジョシュアは、芝生に座っている別の子を見つける。「転入生かな? 僕より小さいや。きっとやられるな」(2枚目の写真)。この子こそ、「翼のない天使」で、以後何度もそれとなく登場する。次に、女子校との間に設けられた柵と、その向こうで遊んでいる女生徒たちを見て、「なぜ柵なんか作るのかな。一体誰が あんな所 行きたがるんだ?」。すると、「おい、ジョシュ、忍者ごっこして遊ばないか?」と声がかかる(3枚目の写真)。「明日だ、フランク」。「ホントに明日?」。「うん、明日」。こう否定すると、「行かないと。呼ばれてる」と立ち去る。フランクは太った汗かきなので、ジョシュアはいつも「明日」と言って逃げている。この間、わずか1分。4つの主題を手際よく紹介している。
  
  
  

両親は 忙しい人たちだから、何か訊こうと思ったら時と場所を選ばないと」。そう言って映し出されたのは、夜、両親のベッドの中。笑ってしまう。両親の間にもぐりこんだジョシュアが、突然「2人に訊いてもいい?」と声を出す。母がスタンドを点け、「どうかしたの?」と訊くと、「フットボールのチームに入りたいんだ」(1枚目の写真)。あきれて消灯となる。「ママ、お願い」の声に、父からは、如何に危険かについて医者としての長い見解が。「パパ、戦争に行くわけじゃない」。「答えは『ノー』よ」と母。そこに、急に姉の声がする。「心配ないわジョシュ。一生ダサい訳じゃなし」。いつの間にかベッドに潜り込んだ2人目に驚く両親。ジョシュア:「パッドなんか一杯つけるんだ。ケガなんかしないよ」。父:「ママの話、聞いたろ?」。姉:「こびとのレスラーになって、テレビに出たら? 名前は、そうね、『ピグミー…』」。ジョシュア:「『オブ・ペンシルバニア』だろ。新しいの考えたら?」。母:「突然、フットボールって言い出して、どうなってるの? ちゃんと理由を言いなさい。1つでも」。「おじいちゃんが やってた」。この魔法の一言で、すべてはOKとなった。祖父が大好きだったジョシュア。その祖父が癌で死んでから沈んでいるジョシュア。だから、こと祖父の話になると、両親は弱い。翌日、ジョシュアは、さっそくフル装備で練習に出る。しかし、体型に合うサイズがなくて、ヘルメットはうつむく度に脱げ落ちる有様。さっそくフレディーに「お前、マスコット・キャラになるのか?」となじられ、「その前に、君のママに仕事あげなきゃ」と言葉を返す(2枚目の写真)。ケンカになって、結局、選手から外されることに。「おじいちゃんは、一流のフットボールの選手だった。おじいちゃんの信じていたことは2つ。ボールは両手でしっかり握れ、そして、信念を貫けば何事も成る」。そして、2つの目の回想シーンへ。ジョシュアが祖父の病気を初めて知る、教会での場面だ。ミサの最後に司祭が、「本日の聖体拝領は、病気や身体的疾患に苦しんでいる方々から始めたいと思います」と言う。席を立つ祖父。それは、ジョシュアにとり、青天の霹靂だった。拝領後に席に戻った祖父を見て、ジョシュアは心配でたまらない(3枚目の写真)。現代に戻り、夜、祖父の部屋から光が漏れているのを不審に思い中に入る母。そこでは、揺りイスに座ったままジョシュアが、例のガウンを着て眠っている。息子の髪をなでながら(4枚目の写真)、母は「私も寂しいわ」とつぶやく。
  
  
  
  

次は、デイヴの家のシーン。「僕の思ってることを そろそろデイヴに話そう。デイヴは すごく大きな家に住んでる。でも彼がほとんどの時間を過ごしてるのは、階段の下の3×5フィートの物置の中だ」。0.9m×1.5mなら、ハリー・ポッターの階段下の物置よりは広い。家が大きくて階段も立派だからか。その物置の中で、銀河宇宙での戦争ごっこをして遊ぶシーン(1枚目の写真)があり、その後、黒塗りの高級オープンカーに2人で乗って、2つの話題について話す。デイヴ:「どうして 女の子のこと 話さないんだ?」。「さあ」。デイヴが、雑誌の水着姿の女性を見せて「彼女のこと どう思う?」と訊くと、「いいんじゃない」と気のない返事。「いつもは冴えてるのに、こっちは無感覚なんだ」。「女の子への興味は、ただの生物学的反応さ」。「生物学的反応? どんな反応?」。「知らないよ。経験したことないから」。ここで、ジョシュアが打ち明ける。「あのね、デイヴ。僕、ある任務に就くんだ。特別なやつ」。「どんな任務?」。「大切なものを捜す」。「何を捜すんだ?」。「神様」(2枚目の写真)。「神様? どうして?」(3枚目の写真)。「訊きたいことがある」。「何を?」。「おじいちゃんが元気か、確かめたい」。「僕、ポーチの電気虫取り器を6時間見てたろ。紫色の光にガンマ線が入ってて、インクレディブル・ハルクに変身するんじゃないかってさ。その時、僕のことをバカだって言ったの覚えてるか? 君の任務は、あれよりバカげてる」。「どうして?」。「神様なんて捜せない。いったいどこを 捜すんだ?」。とにもかくにも、こうして任務は大親友の知るところとなった。
  
  
  

「どこを」の最初の突破口は、偶然見つかった。夕食の時、姉が母に、「ギアリー枢機卿が学校に来るの」と話したのだ。「有名なのよ。奇跡を起こせるって言われてる」。ここで、ナレーション。「いつもは姉さんの話なんか聞いてないけど…」。姉:「神様と話せるって 思ってる人も」。「姉さんじゃなければ、抱き締めてた」(1枚目の写真)。次の問題は、学校をどうやって抜け出して、女子校へ行くか? その日の午後はミサ。クラス毎に列に並んで、礼拝堂に入ることになっている。「カトリックの学校は刑務所に似ている。どちらも脱出は不可能に近い」。当然、「大胆で向こう見ず」なデイヴのお世話になる。「いいか、すぐ列を離れるんじゃないぞ」。「あのね、やっぱ りやめるよ」。「おいおい、大丈夫だって。僕がシスターの注意を逸らしたら、さっと姿を消すんだ」(2枚目の写真)。デイヴはモップを被り、掃除用のバケツ車に乗り、化け物のようにシスターの目の前に現れる。その姿を見て思わずにんまりするジョシュア(3枚目の写真)。生徒たちは大喜び、シスターは追跡に必死、誰もジョシュアに注意を払わない。ジョシュアは玄関に辿り着くが、そこでドアの上に付いた警報機の存在を教えてくれたのは「翼のない天使」だった(4枚目の写真)。無事 女子校に入り込んだジョシュアは、可愛い女生徒に出会う。「ここで何してるの?」と訊かれるが(5枚目の写真)、ただ女生徒を見るだけで、言葉が出て来ない。「どうしたの?」と再度訊かれ、「生物学的反応が起きたんだ」(6枚目の写真)。先のデイヴとの会話が活きた面白いシーンだ。結局、ジョシュアが枢機卿と会うことができたのは、男子トイレの中。ジョシュアが枢機卿を追って中に入って行き、「お伺いしたいことが…」と言いかけると、枢機卿は病気で苦しみ、必死で薬を飲もうとしていた。それを見たジョシュアは、「間近で見た枢機卿は違って見えた。誰かのおじいちゃんみたいだった」(7枚目の写真)。トイレの外で会った姉に、ジョシュアは、「あの人は 神様とは話せない」と言い、いつもは皮肉っぽい姉に慰められる。
  
  
  
  
  
  
  

映画は、第2部「12月―しるし」に入り、学校での様々なシーンが紹介される。最初は昼食。生徒たちが食堂でにぎやかに食べている。「カトリックの学校は規律で出来ている。そして、シスターは規律を押し付ける。食べ物は残さず、テーブルは汚さない」「僕らにも決まりがある。マグロの煮込みは絶対食べない。お盆はすぐ隣に廻す」。このお盆とは、生徒が残したものを、こっそり1つのお盆にぶちまけたもので(1枚目の写真)、次から次へと手渡しされて、中味はゴミ箱に直行、お盆だけ速やかに元に戻される仕組みだ。2つ目は告解。「5年生は、毎月 第1木曜日にピーターズ神父に告解する。誰もホントに告白などしない。順番を待っている間に話を作っておく。でも神父は、それが嘘だってきっと知ってる。いつも悲しそうな顔をしてるから」。しかし、今日のジョシュアは違った。告白ではなく質問をぶつけたのだ。「あなたは神様を捜しておられるでしょ?」と訊き、「僕もです」(2枚目の写真)と言った後で、「ピーターズ神父様、あなたは、僕に嘘はつけませんよね?」と念を押す。「どういうことかね?」。「僕、あることを訊きたいんです。僕が10歳だからって理由で、お話を聴かされたくないんです」。「包み隠さず話すよ。約束する」。そして、要の質問。神を捜すのを「あきらめたいと思ったこと、ありますか? 長い間捜しても 一度も会えないなら、作り話かもしれないでしょ?」。「あきらめたいと思ったこともあるよ。だが、一つ学んだことがある。疑念とは、何を捜すにしても、人間の営みの一部なんだ」。3つ目は体操の授業。隣合ったデイヴがジョシュアに「今夜は雪だって聞いた。」と言う。「毎日そう言うけど、降らないじゃないか」。「CNNの情報だ。CNNは嘘は言わない」。「ホント?」。「明日は休校だ。保証付き」。すると、今度は反対側のフランクが、「ジョシュ、今日は明日だろ?」と話しかけてくる。フランクが嫌いなジョシュは、「ううん、今日は今日だろ、明日が明日だ」と禅問答(3枚目の写真)。明日遊ぶと言ってあるので、先延ばしにする一手なのだ。
  
  
  

ジョシュアは、このところ、インターネットに熱心だ。その結果は、夕食の会話で明らかになる。「春休みは、旅行に行かない? 家族で充実した時間を過ごすんだ」と切り出す。「どこで、充実した時間を過ごしたいんだ?」。「さあ、どこでも」と言いつつ、思いついたように「ローマはどう?」。すごい飛躍。そして、用意した格安ツアーの紙を見せる。「なぜローマなんだ?」と訊かれると、「別に… 観光にいい場所だと聞いたから」。「それって、ただ単に、そこにバチカンがあって、法王がいるからじゃないのか?」。「法王がいるの? 素敵だね。もしかして、会って話せるかも」。何とも白々しくて可愛い。「ジョシュア、法王は神様じゃないのよ」。「分かってるよ」(1枚目の写真)「でも、神様の一番の友達だ」。あきれた息子に対する、父の一言。「ローマには行かんぞ」。翌朝、ジョシュアはいつもより寝起きが悪い。寝る前に雪がチラチラしていたので、休校だと確信していたのだ。父に歯まで磨いてもらい、やっと目が開く。「お早う」。「降ってたよね?」(2枚目の写真)。「雨で消えちゃったぞ」。「デイヴは最低。CNNも最低だ」。
  
  

ある日、学校から帰ると、祖父の部屋がきれいに片付けられていて、何も残っていない。フットボールのトロフィーも、揺りイスも、洋服掛けの服全部もだ。唖然とするジョシュア(1枚目の写真)。母は、「いつかは片付けないといけないの。でも、忘れる訳じゃないのよ」と言うが、ジョシュアは、「イヤだ。全部戻して。元通りにして!」と叫ぶ(2枚目の写真)。母は、「前に進まないと」となだめる一方、ジョシュアの部屋に連れて行き、揺りイスとガウンを見せる。そして、「ゆっくり進めばいいのよ」と語りかける(3枚目の写真)。「僕も、元気を出さないと」。
  
  
  

息子の言動に心配した両親から学校に一報が入り、ジョシュアはシスターに呼び出される。この時の会話も傑作。「ご両親の話では、最近、忙しいんですって? イスラム教のしきたりに 従ってたと聞きましたよ? 毎日、日没時に東を向いて 床に頭をつけていたのよね?」。「やめました」。「感謝祭の日のことはどう? 断食中だからと 七面鳥を食べなかったとか?」。「インドの聖人の真似をしたんです」。「どうして そんな事が必要だと思ったの? 何を捜そうとしてるの?」。「神様です」(1枚目の写真)。その後も話は続き、最後に「また話せるかしら。火曜日の放課後はどう?」とシスターが訊くと、「火曜日はムリです。ハヌカー祭なんです。ロウソクを買いました」。ハヌカー祭はユダヤ教の行事。あきれるシスター。母にオモチャ売り場に連れられて行った時の会話は、小学生らしくない。「あのね。僕、気付いちゃったんだ。この場所は魔法だって思ってた。おもちゃに会える… あらゆる魔法の世界に会えるって」(2枚目の写真)。「今は どうなの?」。「プラスチックとペンキ。まだ魔法はあるけど、毎年だんだんなくなっていき、僕に子供ができる年頃になったら、魔法のことなんか 覚えてもいないのかな」(3枚目の写真)。この辺りは、ナイト・シャラマンの監督の趣味か?
  
  
  

ビリーの家でのパーティ。そこでヨガの真似をしていたジョシュア。例の可愛い女の子が寄ってきて、「何か起こりそう?」と尋ねる。思わず、どきりとするジョシュア(1枚目の写真)。「どんな感じ?」と訊かれ、「ドロップで喉が詰まったみたい。何も言えないんだ」。「思ってること、言ってみて」。迷った挙句、思い切って「君は雑誌の、どんな水着のモデルより可愛い」と早口で打ち明ける。にっこりする女の子。そこへ、デイヴが先頭でやって来る。これから、真冬のプールに飛び込もうというのだ。「あれ誰?」。「デイヴだよ。僕の一番の親友。向こう見ずなんだ。何も恐れない。何一つ。大人になったら、きっとサーカスの人間大砲になるんじゃないかな」。デイヴは「行くぞ」と言って、外に出て行く。ジョシュアは女の子に、神様捜しのことを打ち明ける。相手の反応が気になるジョシュア(2枚目の写真)。「バカげてると 思うよね?」。「変わってるだけ」。「ううん、バカげてると思ってる」。「変わってる、って言ったのよ」。その時デイヴが戻ってきて(3枚目の写真)、大歓声に包まれる。
  
  
  

学校の、帰宅待ちの時間に、ジョシュアとデイヴが話している(1枚目の写真)。デイヴ:「この任務、手に負えなくなってきたな。イライラしてるだろ。このまま 打っちゃっとけよ。噂になってるぞ」。ジョシュア:「分かってないね」。「そうか? じゃあ、一つ答えろよ。これまで、ずっとやってきて、神がいるって “しるし” に、一度でも遭ったことあるか?」。首を振るジョシュア。「ないだろ? それが何を意味すると思う? 神なんかいないか、いても、君が捜していることには無関心。どっちでも、止める頃合だ」。帰宅したジョシュアは、祖父の揺りイスに座り、すがるように考える。「僕の任務に疑念が出てきた。任務を続けるには、どうしても “しるし” が必要だ」。そして、口に出して祈る。「お願い。必要なんです」。思い切り目をつむって お願いし、パッと目を開ける(2枚目の写真)。何か起きてないか、部屋の中を見るが変化はゼロ。両親の部屋に飛び込み、何か普通でないことが起きなかったか訊くが、やはりゼロ。電話中の姉に訊くと、完全無視。「おじいちゃんの信じていたことは2つ。でも、今の僕には何もない」。ここから3番目の回想シーンが始まる。ジョシュアは、祖父が癌だと もう知っている。雪の積もった家の前、祖父を気遣いながらジョシュアが一緒に階段を降りる。祖父:「泣かないでおくれ。おじいちゃんまで、悲しくなる」。ジョシュア:「じゃあ、泣かない。痛いの?」。「今は 痛くない」。「怖い?」。「いいや」。「どうして?」。「神様の御許に行けば 守って下さるからだ」。「どうして分かるの? もし神様がいなかったら、誰がおじいちゃんを守るの?」。「バカなこと 言うんじゃない」。「どうして確信が持てるの? だって 作り話は山ほどあるよ。スーパーマンはホントじゃないし、インディ・ジョーンズだって、誰かが作ったんだ」。「証拠がある」。「証拠って?」。「雪が、証拠だ。雪はどうやって降ると思う?」。「大気中の水蒸気が凍って、白くて薄い結晶になって降ってくるんでしょ?」。「どこで習った?」。「科学の時間」。「その通りだ。だが、それだけじゃない。お前にも分かる時が来る」。ベンチに腰を降ろした2人(3枚目の写真)。祖父が、「ほんとは、ちょっと怖いんだ」と打ち明ける。「僕だって怖いよ。おじいちゃん。もう 泣いてもいい?」。そう言って、祖父に抱きつくジョシュア(4枚目の写真)。切なくなるシーンだ。ジョシュアが、昔の話を思い出しつつ、ふと窓を見ると、外は一面の雪だった。これこそが、待ち望んでいた “しるし” に違いない。ジョシュアは会心の笑みを浮かべる(5枚目の写真)。
  
  
  
  
  

ここから、最後の第3部「5月―答え」が始まる。最初は、学校での2つの小さな逸話。最初は、シスターとの面談を待っていたジョシュアが、1人前の面談者フレディーの秘密を聞いてしまったこと。フレディーの家が経済的に苦しくなり、転校を余儀なくさせられてしまったのだ。「離れたくない」と強く反対するフレディーのことが、虐められてきたのに気にかかる(1枚目の写真)。2つ目は、生徒たちが聖水を飲む順番を一列で待っている時、後ろのフランクが、しつこく声をかけてきたこと。「今日は明日?」(2枚目の写真)。それに対し、ジョシュアは、フレディーを見て気が滅入っていたのか、「ほっといてくれよ」とフランクを突き放してしまう。
  
  

聖母月の献花式に、男子校の生徒も参観を許される。白いドレスを着て、花冠を被った女生徒が、バラの花を1本ずつ持って並んでいる。そして、マリア像の両側から1人ずつ順番に、ペアになってマリア像にバラを捧げるのだ。右側の3人目に例の女生徒がいる。見るからに美少女といった風情(1枚目の写真)。デイヴ:「あの子、君の彼女じゃないか?」。「そうだよ」。「いかしてるな」。「きれいだね」。彼女は、ジョシュアを見て微笑みかける。そして、ジョシュアに歩み寄ると、マリア様に供えるべきバラの花を渡し(2枚目の写真)、「捜してるもの、見つかった?」と訊く。首を振るジョシュア。「見つかるわよ」と微笑み、そのままシスターに連れ去られる。神聖な儀式で、マリア様に供える花を、こともあろうにボーイフレンドに渡すなんて、後でみっちり叱られたに違いない。しかし、ジョシュアの方は幸せな気持ちで一杯だ(3枚目の写真)。「確かに、何かが起きている」。
  
  
  

献花式の前のシーンで心を乱された2つの出来事を、ジョシュアが解決する。最初は、フレディー。その日は、フレディーが学校を去る日だった。帰宅待ちの部屋で、シスターに呼ばれても、なかなか立ち上がろうとしないフレディー。「3年の時から、フレディーには虐められてきた。僕をロッカーに閉じ込めたり、スニーカーにサクランボ・ゼリーを塗ったり、ズボンのお尻が破れた時に 言いふらしたり… でも、どうしたんだろう? 今日は、人生最良の日のはずなのに」。そして、ジョシュアは1人、フレディーの後を追いかける。そして、動き出した車を大声で停めて、フレディーの前まで行き、手を差し出す(1枚目の写真)。「さよなら、フレディー」。フレディーにとっても、いい思い出になったことだろう。2つ目は、フランク。課外事業で博物館に行った日の出来事。館の入口には、三脚回転式のゲートが付いている。1人ずつ順番に回転式の棒に入って行く「あれ」だ。ところが、ジョシュアの後ろにいたデブのフランクが、よりによって無理してジョシュアと一緒に棒の間に入ってしまう(2枚目の写真)。装置が故障し、棒が動かなくなり、ジョシュアは棒とフランクに挟まれて苦しいし、フランクは吐きそうになる始末。係員が2人がかりで20分かかり、ようやく解放された。フランクは当然、つまはじきにされ、生徒からは、「何てデブ野郎だ」とか「大人になったら5000ポンド(2.2トン)にはなるぞ」と言った悪口が聞こえる。見かねたジョシュアは、孤立したフランクの横に座り、「昨日は昨日。今日は明日だ。そうだろ?」と言い、初めてフランクと行動を共にする(3枚目の写真)。
  
  
  

期末試験の日。ジョシュアは順調に答えを書いているが、隣のデイヴは頭を抱えている(1枚目の写真)。「デイヴが言うには、昨日から『試験勉強なんかできるか』ってくらい頭痛がして、試験中は問題も見えず、目がかすんでたそうだ」。その結果、「デイヴに言われて、僕らは秘密作戦を挙行することに。それは、誰にも知られてはいけないもので、ものすごく危険で、見つかったら、お仕置きは必至だった」。つまり、シスターの部屋に侵入して、答案用紙に書き込もうという訳だ。ジョシュアをドアの所に立たせ、廊下を見晴らせておいて、デイウは大急ぎで答えを書き込む(2枚目の写真)。しかし、廊下にシスターが現れる。デイヴは、「捕まって、居残りさせられちゃう」とオロオロするジョシュアを教壇の裏に引っ張り込む。ジョシュアは、聖母マリアへの祈りを口ずさむが、ドアが開く音がしたので、デイヴに口を押さえられる(3枚目の写真)。幸い、2人は見つからずに済んだが、答案用紙は持ち去られてしまった。
  
  
  

翌朝、隣のデイヴは欠席だった。きっとずる休みしてるんだ、とニヤニヤするジョシュア(1枚目の写真)。それでも、どうなってるか心配なので、迎えに来た母に、「デイヴが病欠したんだ。途中で寄ってもらえる?」と頼む。ジョシュアは家の中に入って行く。「その午後 起きたことをすべて話そう」。呼んでも返事がない。「お母さんは、2階でお昼寝。お父さんは、都心で仕事中」。階段下の物置のドアが少し開いていて光が漏れている。「そして、デイヴは銀河の宇宙船の中」。中に入ったジョシュアは、「病気のハズなんだろ。戦争ごっこじゃなく」と声をかけるが、床に倒れているデイヴを発見して絶句(2枚目の写真)。「僕の一番の親友は、てんかんだった。てんかんは、生まれつきの病気で、幾つになっても起きるみたい。起きると、体のコントロールを失い、すごく激しく震え、気を失うんだ。てんかんの起きる前兆は、目のかすみと頭痛だって」。前日のデイヴの症状そのものだ。家から飛び出て、救いを求めて走るジョシュア(3枚目の写真)。幸い、デイヴは、腕を折っただけ、後はすり傷で済んだ。
  
  
  

その夜、ジョシュアは、探索をやめることへの区切りとして、祖父のガウンを庭に埋めようと決心する。穴を掘りながら、「おじいちゃんは間違ってた。神様なんて作り話だ」とナレーションが入ると(1枚目の写真)、最後の回想に入って行く。学校の運動会のシーンだ。「おじいちゃんのために勝つぞ」と意気込んで、百メートル走に出たジョシュア。途中でつまずいて転んでしまう(2枚目の写真)。その場から動けないでいるジョシュアを無視して、競技結果を発表し始めるシスター。祖父は、「シスター、わしの孫が まだ走り終えていません」と止める。そして、ゴールの前に立つと、ジョシュアに向かって手を広げる。「これが最後なんだと思ったのを覚えている。おじいちゃんが、僕の走る姿を見ることは二度とないんだと」「僕が最後に覚えているのは、ゴールの前に立って腕を広げ、別れを告げようと待っていた おじいちゃんの姿だ」。祖父の愛情に促され、ゴールまで走ると、祖父に飛びついて泣くジョシュア(3枚目の写真)。とても感動的なシーンだ。そして現代。ジョシュアは、想い出と一緒に、祖父のガウンを庭に埋める。
  
  
  

デイヴの病室を見舞いに訪れたジョシュア。デイヴから意外なことを言われる。「任務はやめるべきじゃないな」。逆にジョシュアが反論する。「君は 正しかった。悪いことは起き、人々は死んでる。誰も、見守ってくれてなんかない。世の中、そういうものさ」。「今は、信じてる。僕が銀河宇宙船にいた時、君が入ってきた。あれは奇跡なんだ」。「奇跡じゃない」。「あの日、どうして僕の家に寄る気になった? どうして物置に入ったんだ?」。「幸運さ」。「いや、それ以上だ。あきらめちゃダメだ」(1・2枚目の写真)。
  
  

学期末、最後の日。ジョシュアは、いつもと違い、一人で起き、一人で歯を磨き、一人で制服まで着ていた。両親のびっくりに、ジョシュアも自慢気だ(1枚目の写真)。最後の授業では、全員が一年の感想を発表させられる。ジョシュアの発表:「5年生は、今までで一番 厳しい年でした。昨年までは、バットマンのアクションフィギュアやニンジャタートルズのマンガがすべて。今は、家族や友達や… 女の子がそうです」(2枚目の写真)。「女の子」という言葉に生徒たちが笑う。「昨年までは、虐めっ子は ただの虐めっ子、変な子は ただの変な子でした。向こう見ずな子は、何も恐れませんでした。昨年までは、愛する人は 永遠に生きるはずでした。今年、僕はある物をずっと捜していて、回りのものすべてに惹かれました。今までの僕はきっと寝ていて、今ようやく起きたんです。分かりますよね? やっと目が覚めたんです」(3枚目の写真)。この発表の中には、ホープもフレディーもフランクもデイヴも祖父もみんな入っている。あと残るのは、神様だけだ。
  
  
  

授業が終わり、クラス毎に集合写真を撮る。シスターが人数を数えると1人足りない。その時、部屋の入口を、時々見る男の子が通り過ぎた。「呼んできます」と言って廊下に出るジョシュア。男の子に、「クラス写真に 入って欲しいって」と声をかける(1枚目の写真)。「君のクラスじゃない」。「違うの? ねえ、何て名前?」。「知らないの? 僕に会うの、初めてなんだね?」。「いつも会ってたよ。いつも、近くで笑ってたじゃない。それに、僕を見てた」。「本当に会ったのは これが初めてだよ」。「そうかも」。そして、この少年は、「心配しなくてもいいよ。彼は幸せだから」と語りかける(2枚目の写真)。「誰? デイヴ? 彼なら大丈夫さ」。「デイヴじゃない」。「戻らないと。写真を撮るんだ」と言って去りかけたジョシュアだが、ふと思いついて「おじいちゃんのこと?」と振り返ると少年の姿はなく、そこに眩しい太陽の光が注いでいた。それを見て、神の存在を確信したジョシュア(3・4枚目の写真)。最後にナレーションが入る。「僕は ジョシュア・ビール。ペンシルバニア州フィラデルフィアに住んでる。僕が信じていることは2つ。翼のない天使がいること。そして、6年生は これまでより楽になるはずだということ」。
  
  
  
  

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